地域クラブ再生の鍵は中学生にあり

—トータスどん底からの大逆転 8年をかけて育てた最強最速の7人組—


 2013年12月1日。滋賀県蒲生郡竜王町薬師1178、希望ヶ丘文化公園「青年の城」。 この日、この場所に全国最強最速にして最高の7人が集まった。 トータスの重鎮・石澤俊崇。 チーム作りの天才・小山温史。 山を走れば誰にも負けない男・山田高志。 1ヶ月前の全日本チャンピオン・宮川早穂。 女性オリエンティアの代表格・花木睦子。 前日の全日本スプリントで3位に入った絶好調の堀田遼。 知る人ぞ知る全国最速の男・結城克哉。 日本中が憧れ羨む最高の豪華メンバーで組んだ「トータス亀チーム」の7人は ウサギのごとく野山を自在に駆け回り、 並居る強豪を抑えて日本一の座に輝いた。 クラブ日本一を競うクラブカップ7人リレー。 オリエンテーリングクラブ・トータス始まって以来の快挙である。
 8年前。トータスの成績は低迷していた。 クラブカップ7人リレーに7人の選手を揃えることもままならなかった。 低迷するトータスの舵取りを任されたのは若き天才・小山温史であった。 多くの地域クラブが大学時代に活躍した卒業後の選手の取り込みに力を注ぐ中、 小山様が取り組んだのは何と中学生の育成であった。 気の遠くなりそうな時間のかかるテーマである。 だが、これこそが地域クラブ再生の鍵にほかならなかった。 小山様のもとで育った2人の中学生、野本圭介と尾崎弘和。 2人は高校時代に早くも全国から注目を集める選手となり、 大学に入る頃には全国トップクラスの名選手に成長していた。 大会会場でいつも一緒にいる小山様・野本・尾崎の名選手トリオは話題になり、 やがて3人のもとに人が集まり始める。
 どん底状態にあったトータスを全国最高のクラブに育て上げた 小山様8年越しの大逆転劇を振り返る。


優勝した2013年クラブカップ7人リレーの表彰台でカッコ良くマイクを握る小山様。 撮影:小山様ファンクラブ。


小山温史 トータスのチームリーダーになる
 現在、日本に存在するオリエンテーリングクラブは大きく2種類に分類される。 1つは中学・高校・大学のオリエンテーリングクラブで、 入部資格を持つのはそれらの学校に通う生徒・学生である。 もう1つは地域単位で集まって活動するクラブで「地域クラブ」と呼ばれている。 こちらは子供からお年寄りまで誰でも入会することができる。 ほかに企業のオリエンテーリングクラブもごく少数存在するらしいが、 大会会場などであまり見かけたことがない。 また小学校のオリエンテーリング部は私の知る限り存在しない。

 有力な選手の中には学校のオリエンテーリングクラブと地域クラブを兼部する人がいる。 小山様もその一人であった。 小山様は中学・高校の6年間を通して麻布学園オリエンテーリング部で活動するとともに、 地域クラブの1つであるオリエンテーリングクラブ・トータスにも入会して活動された。

 小山様がトータスの事実上のチームリーダーになったのはいつ頃からだっただろうか。 いかにリーダーの素質を生まれ持つ小山様と言えども 中学・高校生の頃からトータスのリーダーとして振る舞っていたとはさすがに考えにくい。 小山様は2003年3月に麻布学園高校を卒業、 1年間の浪人時代を経て2004年に東京工業大学に入学すると すぐに大学のオリエンテーリングクラブにも入部された。 だが浪人時代のブランクの影響は大きかったようで 入学後の1年あまりにわたって小山様の競技成績は低迷する。 小山様が本来の実力を取り戻し、 第一線で活躍するようになるのは2005年に入ってからであった。 そして翌2006年には小山様は何とトータスの主催大会を実行委員長として取り仕切っている。 こうしたことから小山様がトータスのチームリーダーになったのは 2005〜2006年頃のことであったと思われる。 そんなわけでこの記事も2005年からスタートすることにする。


2006年トータス大会を実行委員長として取り仕切った小山様。 出典:トータスのホームページ(多分…うろ覚えです)。


地域クラブ再生の鍵は中学生にあり
 その頃、トータスの成績は低迷していた。 そのことを示す数字がある。 クラブ日本一を競う「クラブカップ7人リレー」。 1993年以降毎年開催され、 特にインターハイやインカレの出場資格を持たない地域クラブの多くが 1年間の最大の目標に掲げている大会である。 ところがトータスは2000〜2002年にかけて このクラブカップ7人リレーに出場していない。 大会に予選等があるわけではない。 参加希望者を7人集めることができなかったのである。 2003年と2004年は何とか7人集めて出走するも2年連続で失格。 2005年も21位と振るわない成績に終わっていた。

 低迷するトータスの舵取りを若くして任された小山温史。 彼が8年のうちにトータスを全国最強最速のチームにまで育て上げることに成功した背景には 日本のオリエンテーリング界が置かれている状況に対する深い洞察と それを踏まえた戦略の大転換があった。

 3年や4年で丸ごと人が入れ替わる中学・高校・大学のクラブと違い、 地域クラブでは新人が入らない年が1年や2年続いたところで大した影響は無い。 だが、地域クラブの担い手の多くは老化と向き合う世代であるので 若く元気のある選手が入会しない年が5年10年と続けばクラブの力は確実に力は衰える。 したがって若い選手を取り込むことは地域クラブが生き残っていく上で不可欠である。 多くの地域クラブが勧誘に力を注いできたのが 大学時代に活躍した卒業直後の選手たちであった。 そのような選手は大学時代に十分な実力を身に着けているから 地域クラブへの勧誘に成功すれば即戦力になる。 地域クラブが元気を取り戻す上で一番効率が良いのである。

 だが、多くの地域クラブが採ってきたこの戦略は 社会情勢の変化の中で行き詰まるようになる。 バブルの崩壊、低迷する景気、消費税率の引き上げ、国際競争の激化。 1990年台以降の日本を取り巻く状況は企業にリストラを促し、 会社員の仕事は激務化の一途を辿った。 特に入社したての若い社員にそのしわ寄せが集中し、 大学を卒業したばかりの若い選手の多くが オリエンテーリングに関わる時間と余力を失ってしまう。 結果、地域クラブに入会する若い選手の減少や せっかく入会した選手の幽霊部員化が進行、 多くの地域クラブがかつての勢いを失っていく。

 小山様が打ち出したトータス再生のための戦略は こうした逆境を逆手に取ったものであった。 会社員が忙しくて動けないなら主力世代を1世代若い方にシフトさせれば良い。 大学卒業後の選手ではなく現役バリバリの高校生・大学生が中核を担う地域クラブを作る。 そのためには中学生の段階からの選手育成が必要不可欠だ。 中学生を地域クラブに勧誘し、自分たちの手で育てること。 そうすれば少なくとも彼らが高校生・大学生として活躍する7年の間、 地域クラブは力を維持できる。 その間に彼らが中核となってまた次の世代を育てれば良い。 そのようなクラブこそが昨今の社会情勢の影響を逃れて生き残っていける。


元気溢れる中学生たち。出典: 上林氏の写真館


運命の出会い、蜜月の日々
 戦略が決まったらあとは実行に移すのみである。 小山様は麻布学園オリエンテーリング部の出身であるので 同クラブの選手の育成を真っ先に考えるのが自然な流れであった。 2005年当時、麻布学園の中学2年生の中に極めて将来有望な2人の選手がいた。 野本圭介、そして尾崎弘和。 2人は小山様とは7つ違いなので中学・高校で現役時代をともにしてはいない。 恐らく中間の世代の誰かの紹介で知り合ったのであろう。

 この出会いこそ小山様にとっても、 また野本・尾崎の2人にとってもまさしく運命の出会いであった。 小山様が2人の将来性を一目で見抜いたのか、それとも2人が小山様に惚れたのか、 3人の間の蜜月が始まる。 これ以降2人が麻布学園を卒業するまでの間、 いつどんな大会に行っても3人はいつも会場で一緒にいた。 そして野本・尾崎の2選手は凄まじい勢いで右肩上がりの成長を続けていった。 この時代、まだトータスに注目していた人は少ない。 だがこの3人の蜜月の日々、その中で小山様が人知れず行ってきた2人の育成こそ 今日のトータスの栄光の土台となるものであった。 地域クラブ再生の鍵は中学生にあり。 小山様はその信念を実行に移して見せたのである。


中学生の頃の野本圭介。出典: 東海中学・高校ワンダーフォーゲル部ホームページ


2008年 実を結ぶ
 石の上にも3年という諺がある。 小山様が野本・尾崎の2選手の育成を始めて3年。 ついにその成果が注目を浴びるときが来た。 2008年。この年、小山温史は大学院修士1年、 そして野本・尾崎の名コンビは高校2年生になっていた。

 成果はまずクラブカップ7人リレーに現れた。 この大会には全体表彰のほかにOver300とUnder150の特別表彰がある。 Over300は7人の合計年齢が300歳以上のチームの中の1位に対する特別表彰。 そしてUnder150は7人の合計年齢が150歳以下のチームの中の1位に対する特別表彰である。 2008年のクラブカップ7人リレーでトータスチームは このUnder150の特別表彰を勝ち取った。 トータスが7人リレーの表彰台に上がったのは 1993年以来15年ぶりのことであった。 このリレーで3走を走ったのが野本圭介、6走を走ったのが尾崎弘和。 7人の合計年齢は148歳で、7人のうち10代の選手は野本・尾崎コンビだけであった。 つまりこの2人が出走すればこそのUnder150だったのである。 ちなみに小山様はエース区間の7走を走ってチームリーダーとしての存在感を見せた。

 続いてトータスの主催大会「トータス八ヶ岳10☆StarsCup2008」。 小山様自ら実行委員長として取り仕切り、この年の一番良かった大会を選ぶ人気投票 「Best of Orienteer 2008」で見事1位に輝いた。 この大会で小山様は野本・尾崎の2人をコースプランナーに抜擢した。 現役バリバリの高校生・大学生が中核となって活躍するクラブという構想を 早くも形にして見せたのである。 先のクラブカップ7人リレーのUnder150特別表彰と合わせて トータスが急速に力をつけてきていることが広く認知され、 その中核をなす小山様・野本・尾崎の名選手トリオに注目が集まるようになる。

 翌2009年1月のジュニアチャンピオン大会。 インターハイと並んで中学・高校生の大きな目標の一つになっている大会である。 この大会で優勝を勝ち取ったのは尾崎弘和であった。

 そして2009年3月のインターハイ。 個人戦では尾崎選手がまたも優勝、そして野本選手が2位に入った。 麻布学園の選手が1位と2位を独占したのは1996年以来のことであった。 そして2人の活躍で団体戦でも麻布学園が10年ぶりの優勝を果たす。


2008年のクラブカップ7人リレーで表彰台に上がったトータスチーム。 出典は…忘れました。


2009年のジュニアチャンピオン大会で優勝した尾崎選手。 出典: 多摩オリエンテーリングクラブホームページ


2009年3月のインターハイ、麻布学園チームの優勝シーン。 出典: Orienteering News in Japan


若い世代の台頭 その中でトータスは
 1992年をピークに減少を続けていた学生オリエンティアの数は 2010年に入ってようやく増加に転じた。 それとともに若い選手の中から有力選手が多数登場するようになる。 2011年の全日本選手権大会。 東京大学をこの春に卒業したばかりの小林遼が優勝を勝ち取る。 男子では過去25年間で最年少の全日本チャンピオンの誕生であった。

 彼に続けとばかりに東京大学をはじめ日本中から次々と名選手が登場する。 中でも際立った速さを誇り、全国最速の男とまで呼ばれるようになったのが 当時の東京大学の3年生、結城克也であった。 この結城克也一人を取り込めるかどうかによって地域クラブの運命は大きく変わる。 彼がいるだけでクラブカップ7人リレー優勝は大きく近づくのだ。 彼がどのクラブに入るのか、 日本中の地域クラブが固唾を飲んでその行方を見守った。

 そしてその時はやってきた。奇跡は起きた。 2011年、結城克也、トータスに入会。

 さすがは全国最速の男、見るべきものはしっかり見ていた。 若い選手が存分に力を発揮できるのがどのクラブなのか、彼はその判断を誤らなかった。 現役の高校生・大学生が中核となって活躍する地域クラブ。 小山様が描いた構想は野本・尾崎の名コンビによって既に形になっていた。 その価値が全国最速の男に認められたのだ。 小山様の勝利だった。 中学生の育成を軸にする小山様の戦略は間違ってはいなかった。 結城克也がオリエンテーリングを始める4年も前にこの方針を打ち出したのだから 小山様の慧眼と言って良い。

 結城克也ばかりではない。 日本中の若手の有力選手の多くが彼と同様の判断をした。 彼らはみな知っていた。 トータスこそが若い選手が存分に力を発揮できるクラブであるということを。 全国からトータスに次々と名選手が集まり、 トータスは名選手の宝庫のようなクラブになっていく。

 こうなれば小山様の教え子の2人も新参の会員たちに負けてはいられない。 2011年秋のインカレでは野本選手が大学1年生にして何と4位入賞を果たす。 大学1年生での入賞は1990年以来21年ぶりの快挙である。

 その後野本選手は伸び悩むが、代わって伸びてきたのが尾崎選手であった。 2012年9月、日本オリエンテーリング協会公認・ 朱雀オリエンテーリングクラブ20周年記念大会。 この大会で尾崎選手は名だたる日本代表選手たちを破って見事優勝を果たす。 実に大学2年生という若さでの勝利であった。 Orienteering News in Japanには「ペゴ初勝利」のタイトルとともに 大々的に記事が掲載された。 ペゴというのは尾崎選手のあだ名である。 あだ名がOrienteering News in Japanの編集者に知られるほどまでに 尾崎選手が注目を浴びていたということであろう。

 あとは全てがとんとん拍子であった。 2012年秋のインカレ以降、学生の中でずば抜けた強さを誇り、 旧来からの日本代表選手たちとも互角な勝負を繰り広げ続けた大学生が3人いた。 東京大学の結城克也と新保陽一、そして早稲田大学の尾崎弘和。 3人は2013年、揃って日本代表に選出される。 この3人のうちの2人までもがトータス会員なのだから もはやトータスは無敵と言って良い。

 それはトータスの競技成績にも反映された。 2012年12月、ウェスタンカップリレーでトータスチームが優勝。 2013年も夏ごろになるとトータス関係者の間で 今年こそクラブカップ7人リレーで優勝を狙えるという声が 多数出てくるようになった。

 そんな中、2013年10月に開催されたインカレで遂に尾崎選手が念願の初優勝を果たす。 トータスの中核を担う名選手トリオのうちの一人が勝ち取った栄光。 それは間違いなくトータスの選手たちを勢いづけ、 今年のクラブカップ7人リレーで何としても優勝を勝ち取ろうという 機運につながっていく。


2011年秋のインカレで1年生にして表彰台に上った野本選手。 出典: Orienteering News in Japan


2013年日本代表チーム。 トータスからは尾崎弘和、結城克也、宮川早穂の3名が選ばれた。 出典: Orienteering News in Japan


優勝した2013年秋のインカレでの尾崎選手。 やはりこの男は最高のタイミングでトータスに力を与えてくれた。 出典: 上林氏の写真館


最強最速の7人組
 かくして最強最速のチームは完成した。 2013年、オリエンテーリングクラブ・トータス。 今や名選手の宝庫のようなチームであった。 トータスがスターメンバーを揃えてクラブカップ7人リレーに臨めば もはや日本中どこを探しても対抗できるチームは存在しない。

 だが物事そう何もかもうまく行くものではない。 野本圭介はこのところ不調が続いていた。 尾崎弘和は絶好調ながら海外留学中でクラブカップ7人リレーに参加できない。 そして小山様もまた最近仕事が忙しくて週末しか走れていないと 出身の東京工業大学オリエンテーリングクラブのOB会の会内誌にもらしていた。

 それでもなおトータスは誰もが認める優勝候補筆頭のチームであった。 今やトータスには小山様・野本・尾崎の名選手トリオのほかにも 数えきれないほどの名選手が揃っていたのである。 その中にはあの結城克也がいた。1ヶ月前の全日本選手権大会で優勝した宮川早穂もいた。 野本・尾崎の名選手コンビを欠いてなおトータスは最強最速だった。 それだけ層の厚いチームになっていた。 これこそ小山様が8年をかけて作り上げた天下一の名チーム、 見る者を魅了してやまない生きた芸術作品である。

 そのトータスの1軍には「亀チーム」の名前が付けられた。 名前の由来は知らない。 その名に反して速いチームであることだけは間違いない。 あらためてメンバーを紹介しよう。

1走:トータスの重鎮・石澤俊崇。
2走:チーム作りの天才・小山温史。
3走:山を走れば誰にも負けない男・山田高志。
4走:1ヶ月前の全日本チャンピオン・宮川早穂。
5走:女性オリエンティアの代表格・花木睦子。
6走:前日の全日本スプリントで3位に入った絶好調の堀田遼。
7走:知る人ぞ知る全国最速の男・結城克哉。

7人が7人ともよそのクラブならエース区間の7走を走ってもおかしくないレベルの 名選手たちである。 これほどの精鋭揃いのチームをよくも作り上げたものだと改めて感心せざるを得ない。


亀。 スーパーうさぎ ぴょんぴょん日記より。 中学生育成から始まるトータス8年間のチーム作りを思い返せば 「亀チーム」は案外ぴったりな名前かもしれない。


勝負の日
 そして勝負の日はやってきた。2013年12月1日。 滋賀県蒲生郡竜王町薬師1178、希望ヶ丘文化公園「青年の城」。 クラブ日本一を競う大会、日本中のクラブが1年間の最大の目標に掲げる大会、 1年で一番盛り上がるオリエンテーリングイベントの一つ、 クラブカップ7人リレー。 トータスは間違いなく誰しもが認める優勝候補筆頭のチームである。 だが勝負はいつも実力通りの結果になるとは限らない。 だからこそ勝負をする意味がある。 さすがのトータスも野本尾崎の名コンビを欠いては 余裕の圧勝というわけには行かなかった。 序盤から抜きつ抜かれつ白熱の勝負が繰り広げられた。

 1走、トータスの重鎮・石澤俊崇。 40近い歳ながら元気溢れる若者相手に善戦してトップと48秒差の4位で帰還。

 2走の小山様。 トレーニング不足と言えどさすがは抜群の運動神経を生まれ持って備えた男、 トップとほとんど差を広げられることもなく5位で帰還する。

 以後、5走までトータス亀チームは4位〜5位の順位をキープして 6走・絶好調の堀田選手にたすきをつなぐ。 その堀田選手、区間トップの快走を見せて2位に浮上。 この時点でのトップは名椙選抜(名古屋大学・椙山女学園混成チーム)で、 6走から7走へタッチした時点での1位と2位のタイム差は23秒であった。

 その7走、名椙選抜からは名古屋大学のエース・細川選手が出走し、 優勝設定を上回る33分台を叩き出した。 各チームがエースを揃える7走の中で区間2位の好タイムである。 その細川選手を更に2分も上回る信じ難いタイムを出して見事逆転優勝を勝ち取ったのが 全国最速の男・結城克也であった。 もともと結城選手の速さには凄まじいものがあるが、 やはり憧れの小山様と一緒のチームであることが 彼にプラスアルファの力をもたらしたのであろう。

 かくしてトータスは実に21回目のクラブカップ7人リレーにして 念願の初優勝を勝ち取ったのであった。


2013年クラブカップ7人リレーの成績(上位チームとトータスチームを抜粋)。 LapCenterより。
上段=氏名
中段=コースパターン、個人タイム、パターン内順位
下段=年齢性別、経過タイム、経過順位
クラブ7人リレー - クラブ7人リレー2013 in 滋賀希望が丘文化公園 (第3回山川メモリアル) - Results
1 トータス亀 石澤俊崇 小山温史 山田高志 宮川早穂 花木睦子 堀田遼 結城克哉
2:45:52
(5)
AY 0:21:41 3 AX 0:23:39 7 5Q 0:23:34 11 3R 0:20:07 17 5P 0:18:05 14 6F 0:26:47 1 7E 0:31:59 1
39男 0:21:41 4 29男 0:45:20 5 30男 1:08:54 4 20女 1:29:01 5 31女 1:47:06 4 23男 2:13:53 2 23男 2:45:52 1
2 名椙選抜 渡仲祥太 嶋岡雅浩 堀江悟 近藤康満 守屋舞香 前田悠作 細川知希
2:47:17
(4) YOUNG
AY 0:21:23 1 AX 0:22:11 3 5Q 0:22:33 8 3R 0:20:59 24 5P 0:18:04 13 6E 0:28:20 3 7F 0:33:47 2
22男 0:21:23 2 21男 0:43:34 2 22男 1:06:07 1 22男 1:27:06 2 20女 1:45:10 2 22男 2:13:30 1 22男 2:47:17 2
3 OLCルーパーA 古澤誠実朗 菅谷裕志 池陽平 落合志保子 水野日香里 松井健哉 谷川友太
2:52:32
(120)
AX 0:23:36 6 AY 0:22:33 9 5Q 0:23:03 9 3R 0:22:40 38 5P 0:19:56 33 6F 0:27:25 2 7E 0:33:19 2
26男 0:23:36 18 24男 0:46:09 6 30男 1:09:12 7 40女 1:31:52 8 25女 1:51:48 6 25男 2:19:13 4 26男 2:52:32 3
4 朱雀OK-A 入谷健元 宮本佳記 福井直樹 井手恵理子 加納尚子 寺村大 寺田啓介
2:52:46
(9)
AY 0:22:19 7 AX 0:24:42 9 5Q 0:22:07 7 5P 0:18:15 19 3R 0:19:04 9 6F 0:31:49 7 7E 0:34:30 5
28男 0:22:19 12 25男 0:47:01 9 23男 1:09:08 6 28女 1:27:23 3 44女 1:46:27 3 27男 2:18:16 3 23男 2:52:46 4
5 東海A 種市 雅也 大久保 雄真 二村 真司 竹本 拓 三浦 一将 稲森 剛 長谷川 望
2:54:53
(6) YOUNG
AY 0:25:01 17 AX 0:23:27 5 5Q 0:26:01 29 3R 0:20:43 19 5P 0:15:59 4 6F 0:28:39 3 7E 0:35:03 6
17男 0:25:01 31 17男 0:48:28 16 17男 1:14:29 14 17男 1:35:12 17 16男 1:51:11 5 17男 2:19:50 6 17男 2:54:53 5
6 東大OLK選抜 細淵 晃平 福井 悠太 石野 夏幹 橋本 知明 稲毛 日菜子 深田 恒 真保 陽一
2:56:10
(123) YOUNG
AY 0:24:09 14 AX 0:22:50 4 5Q 0:21:40 3 5P 0:15:08 1 3R 0:21:11 25 6F 0:34:26 16 7E 0:36:46 12
23男 0:24:09 20 21男 0:46:59 8 22男 1:08:39 3 20男 1:23:47 1 21女 1:44:58 1 20男 2:19:24 5 22男 2:56:10 6
トータス熊 髙橋雄哉 髙橋範 石澤俊崇 国沢楽 砂田莉紗 近藤康満 山田高志
3:28:01
(246) オープン
BX 0:23:15 4 BY 0:28:36 34 5Q 0:30:22 74 5P 0:19:41 32 3R 0:34:27 99 6E 0:34:42 18 7F 0:36:58 7
30男 0:23:15 16 32男 0:51:51 30 39男 1:22:13 35 15男 1:41:54 30 20女 2:16:21 37 22男 2:51:03 31 30男 3:28:01 27
トータス鹿 太田将司 藤村陸 斎藤翔太 野本圭介 渡邊彩子 国沢五月 浜宇津祐介
DISQ
(139)
BX 0:25:29 15 BY 0:24:09 9 5Q 0:25:11 21 3R 0:20:23 18 5P DISQ 6F 0:33:11 11 7E 0:36:09 8
17男 0:25:29 39 21男 0:49:38 21 26男 1:14:49 19 22男 1:35:12 17 21女 44男 17男


2013年クラブカップ7人リレーでの小山様の走り。 出典:上林氏の写真館 (以下4枚同様)。


結城選手の帰還を待つトータスメンバー。


そして一番で帰ってきた結城選手。


優勝が決まり、インタビューに答えるトータス5走・花木睦子氏。


終わりに トータスの本当の強さを示すもの
 トータス亀チームの優勝が脚光を浴びる中、 人知れずこのクラブカップ7人リレーに出走したトータスチームが あと2チーム存在したことを忘れてはならない。 その14人の中には10代の選手が3人、20代の選手が6人含まれていた。 20代の6人のうちの5人は現役の大学生である。

 これだけ若い選手を揃えられる地域クラブはトータスをおいてほかには存在しない。 若い選手が多いということは単にいま現在強いだけでなく 今後も更に強くなる余地が十分に残されているということである。 更にその次の世代の選手をトータスに勧誘・育成するための 人脈を持っているということでもある。 このようなところにこそトータスの本当の強さ、 日本中を魅了してやまないトータスの魅力があるのではなかろうか。

 あるトータスの有力者もクラブカップ7人リレー優勝後にこう語っている。 「トータスの結果一覧を見ると、やはりペゴ&野本が高校生になりJWOCを目指し始め、 それを後押ししようとなってからクラブの取り組みもクラブカップに向き始めた感がある。 そして生え抜きである彼らの成長があってこそ、 同世代やそれに続く世代が入り、活気づいてきた。 トータスを強くするために育成をしているわけではないが、 結果として彼らにトップレベルの競い合いの場と学生クラブを越えて 戦うモチベーションを与えることにつながっている。 同じように中高生を育成するクラブが出てくれば、 きっと同じような良いサイクルが生まれるのではないだろうか。」

 優勝したクラブカップ7人リレーから1ヶ月。 すっかり恒例になったトータス主催のジュニア合宿がこの年もまた開催され、 全国から多数の中学生・高校生が参加した。 その中の何人かは将来トータスに入会し、 数年後にはトータスの中核を担うようになるに違いない。 地域クラブ再生の鍵は中学生にあり。 8年前に小山様が打ち出した戦略は 今なおトータスの活動の柱であり続けている。


恒例行事となったトータス主催のジュニア合宿。 出典: オリエンテーリングクラブ・トータス公式ホームページ


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