災難続きのトータス大会会場を感謝一色に染め上げた

若き実行委員長・小山温史 伝説の名判断


 大学院修士1年という異例の若さで 日本を代表する地域クラブ・トータスの主宰大会 「トータス八ヶ岳10☆StarsCup2008」の実行委員長に抜擢された小山温史。 彼を待ち受けていたものは数ある大会でも稀に見る試練の連続だった。 台風の接近で一時は大会開催をも危ぶまれた。 一難去ったかと思えば今度は参加者が次々とハチに刺される騒ぎが発生する。 だが、その中にあってもなお彼は冷静に参加者の立場を考え続けた。 そして参加者をあっと驚かせる名判断が次々に繰り出される。 彼は試練をチャンスに変えた。 不測の事態への見事すぎる対応。 それはかえって参加者からの評価を高める結果となり、 伝説の名大会として、大会運営の目指すべき理想像として、 日本中のオリエンティアの間で広く長く語り継がれるところとなったのである。
 私はこの大会に一参加者として参加した。 4ヵ月後に別の大会の実行委員長の任を控えていた身である。 同じ若手の実行委員長として彼がどのような大会を運営するか、 固唾を呑んで見守るのは自然な流れであった。 参加者でありながら、私の頭の中には常に運営者の視点があった。 こんなとき自分が実行委員長ならどうするか。 絶えずそう自問しながら参加した。 私にはこの大会の悪い点を何一つとして見出せなかった。 それどころか、次々と繰り出される判断の数々のどれ一つを取っても それ以上のものを望みようもないほどのもので、驚嘆し続けていたのである。
 この年のBest of Orienteer大会部門で見事1位に輝き 今なお伝説の名大会として語り継がれるこの大会の模様を 運営者の視点も意識しつつ一参加者として振り返る。


大会2日目のリレーの様子。多分トータスホームページに掲載された写真だったと思います (以下、別途記載の無い全写真とも同様)。


大会の概要
 NPO法人オリエンテーリングクラブ・トータスは八ヶ岳周辺を 主な活動地域にする地域クラブで、 おおよそ2〜3年おきに大会を開催している。 前回の開催は2006年。このときも実行委員長は小山温史であった。 ただ残念ながらその時は私は大会に参加していないので詳細を知らない。

 今回の大会は2008年9月20日(土)〜21日(日)の2日間、 八ヶ岳南麓にある富士見高原リゾートで開催された。 初日はミドル競技、2日目はリレーである。 正式名称は「トータス八ヶ岳10☆StarsCup2008」。 2日目が10人リレーであることにちなんだ名前である。

 初日のミドル競技は 決められた順番にコントロールを回る「ポイントO」の途中に コントロールを自由な順番で回れる「スコアO区間」を設けるという ユニークなルールのもとで行われた。 2日目のリレーはトータス大会ですっかりお馴染みになったフォークリレー。 1走〜3走は各3人ずつ走り、 3走の3人全員が帰還した段階で4走が出走するという方式である。


10人リレーの様子。3走の選手3人が揃って4走にチェンジオーバー。


台風が接近、そのとき小山温史は
 2008年9月8日、フィリピンの東の海上で台風13号が発生。 台湾付近を通った後、東向きに進路を変え、 18日には九州の南の海上、大会前日の19日朝9時には四国の南の海上へと進んだ。 このまま進めば大会当日、台風の直撃を受ける可能性が濃厚と思われた。 大会中止の可能性すらも懸念された。

 小山温史は自らのブログに 「大会中止になったら立ち直れません。研究室と体を無視してやってるからなぁ。頼む。。。」 と綴っている。 日頃何をやるときでも「適当にだらだら楽しくやればいいんだよ」と言っている彼が このような気持ちを外に出すのは極めて異例のこと。 彼の大会成功にかける強い思いが見て取れる。

 ここで視点を参加者の方に移してみよう。 朝のニュースを聞いた限りでは大会開催すら危ぶまれる状況。 どうにか開催されたとしても恐らく土砂降りの雨の中での競技になるだろう。 既に9月も後半に入っている。しかも標高の高い八ヶ岳だ。 風も強いだろう。寒いことは容易に予想がつく。 走っている間は良いが待っているときが寒い。 この大会は屋外会場の予定だった。 いかにして着替えを濡らさないようにするか、どれくらいの防寒が必要か、 頭を悩ませるところだ。 台風では交通機関も乱れる可能性が高い。 それを見越して早めに行くべきか。あるいは前泊すべきだろうか。 前泊すると言っても仕事を終えてからの移動になる。間に合うだろうか。 その時点で既に交通は乱れてはいないだろうか。 とそんなことを考えながら多くの参加者は仕事に出かけたに違いない。

 オリエンテーリングの大会は雨天決行、荒天中止が基本である。 雨が降っても決行するが、 台風などで大荒れが予想され参加者の安全を確保できないと判断された場合は中止になる。 普通の大会において、大会を中止にするしないの連絡はごく事務的なものである。 大会当日の朝7時か8時頃にただ1文、「大会は予定通り開催します」 あるいは「大会を中止します」とだけホームページに掲載されてそれで終わりである。 参加者の側もそれが当たり前だと思っているからそれ以上の対応は期待しないし、 運営者の側も普通はそれ以上のことをやろうなどとは考えてもみないものである。

 だが、このときのトータスの対応はそうした常識を根底から覆すものであった。 この日、トータスの大会ホームページでは2度に分けて重要な発表がなされた。 以下、その文面を転載する。

19日、14時段階の大会開催可否の見解と変更点などについてご報告します。

トータスのメンバーは、昨日夜から次々と八ヶ岳に集結し、 準備が本格化してきています。
現在の八ヶ岳は、曇り時々小雨といった感じで、風もなく、 台風が近づいている気配を感じることはできません。

(中略)

台風による風雨の可能性を考慮に入れて、20日の会場を変更することにしました。
場所は、同じ富士見リゾート内の「研修センター」。 ちょうどバス停、第2駐車場の向かいの建物になります。

研修センターは、じゅうたん敷きのホールと畳敷きの2部屋(うち一部屋は女子更衣室) があり、それなりの広さはありますが、参加者160人全て入ると、狭いかもしれません。 譲り合ってご利用頂くなど、ご協力をお願い致します。

(以下略)

大会参加者の皆様へ

19日、19時段階の大会開催可否の見解と変更点についてご報告します。

現在の八ヶ岳は、小雨が降り続いていて、若干肌寒い感じですが、 風など台風の影響はまだ認められません。

18時発表の天気予報によると、台風は明日の9時頃には千葉県付近を通過し、 そのまま東の海上へ抜ける見通しと、更にスピードも速くなっているようです。 また、気象庁によると、 八ヶ岳付近の地域が台風の暴風域に入る確率は0%とのことです。

以上から、現段階で、明日20日の大会の「開催を決定」したいと思います。 同様に21日の大会も予定通り、開催します。

一方で、台風が、関東南部を朝横断することもほぼ確実視され、 かなりの確率で交通網の麻痺が予想されます。

そこでその対策として、以下の3点を実施・変更を行いたいと考えます。

・交通麻痺によるスタート時刻の変更を認める
台風による交通麻痺や遅れなどにより、指定のスタート時刻に間に合わない場合、 受付にてスタート時刻を再指定することができます。
その際の最終スタート時刻は14時とします。この時刻に間に合うよう、 会場へお越し下さい。

・小淵沢駅からのバスの変更と増発
スタートの遅れに対応して、会場までのバス便を増発、それに伴い、 一部のバス便を変更します。
小淵沢駅発 9:25、10:05、10:45、 11:25、12:15、13:05
(※赤字が増発分。やりくり上の問題で、10:25発のバスがなくなります)

・ゴール閉鎖時間を16時とする
スタート時刻を遅らせることに伴い、ゴール閉鎖時刻を30分延長し、16時とします。

以上3点に加え、14時段階で発表した、 「研修センター」への会場の変更もお忘れ無きよう、お願いいたします。

わからないことがある場合は、メール(∗)または小山電話:∗まで、 お問い合わせ下さい。

それでは、台風に負けない、楽しい大会にしましょう!

実行委員長 小山温史

 多忙を極める大会前日、それも大会開催すら危ぶまれる緊迫した状況にあってなお 小山様は参加者の気持ちを想像するのを忘れなかった。 荷物を濡らす心配。交通機関の乱れへの懸念。 彼はそれら参加者の不安を的確に見抜いた。そしてしっかりと対応策を考えた。 考えただけではない。 刻一刻と迫り来るタイムリミットを前に焦り苛立つ他の運営者たちをものの見事に説得し、 屋内会場の確保へ、交通機関の乱れの事前対策へと 運営者たちを実際に動かして見せたのである。

 これらの発表とともに小山実行委員長自らの言葉で現地の状況が書かれている点も 参加者に安心感を与えたポイントであった。 当日朝にも「朝6時現在、八ヶ岳では雨も上がり、一部晴れ間も覗いております。 台風の影響は感じません」と力強い言葉で参加者への激励が行われたのであった。


台風13号の経路図。 ○は午前9時、●は午後9時時点での位置を表す。 大会は9月20日〜21日。 出典:気象庁ホームページ。


9月19日と20日の朝9時の時点での天気図。 出典:気象庁ホームページ。


大会初日
 初日はトータス選手権。 ポイントOの途中にスコアO区間を設けるという斬新な競技形式(下の地図参照)である。 小山様のお言葉通り、台風の影響は感じない。

 初日の大会で特筆すべきは成績速報であった。 通常、成績速報には参加者の順位とタイムだけが載る。 ところがこの大会ではそれに加え、 コースを課題に応じたいくつかの区間に区切って その区間ごとの各選手のラップデータが掲載された。 「△-3 ミドルレッグ」「6-10 ショートレッグ」「19-◎ 体力勝負」といった具合である。 それと合わせてスコアO区間の各選手の回り順も掲載された。

 競技終了後、大会会場では参加者は自ずとその日のレースの反省をするものである。 この速報はそのための格好の材料となった。 参加者のことを知り抜いた上での気の利いたサービスと言える。


大会初日のコース図。 △から11番までと19番以降は決められた順番でコントロールを回る 最も一般的な競技形式(ポイントO)。 11番から19番までが「スコアO区間」で、 A〜Gのコントロールを自由な順番で回ることができる。


大会2日目の朝
 2日目は1チーム10人のフォークリレーである。 この大会に限らず、リレーではマイクを使って実況中継が行われることが多い。 しかし屋外でのマイクは得てして聞き取りにくいものである。 過去に多数のリレー大会に参加してこられた方の中には マイクが何を言っているのか全然聞き取れなかったという 経験をお持ちの方も多いだろう。

 この日の朝、まだリレーが始まる前、大会会場ではこんなやり取りがあった。 「皆さん、私の声が聞こえますか?聞こえた方は手を上げてください。」 マイクが参加者に向かって呼びかける。 スピーカーの近くにいる一部の参加者から手が上がるが会場全体としての反応は鈍い。 「ではこれでどうですか?もう一度、私の声が聞こえた方は手を上げてください。」 驚くほど聞き取り易くなった声でマイクが告げる。 話しているのは同一人物だ。変わったのはスピーカーの音質である。 今度は会場中から一斉に手が上がった。 世にも珍しいスピーカーの音質調整である。

 この音質調整の結果、 この日のリレーの実況中継は会場内のどこにいても明瞭に聞き取ることができ、 大会は大いに盛り上がった。 のみならず、後に発生するハチ騒ぎの際にこの音質調整が思わぬ形で 役立つことになるのだが、それについては後述する。


リレー前のデモンストレーションの様子。 小山温史自ら走って見せて会場を盛り上げた。


スタート地区に集合した1走の選手たち。


ハチ騒ぎ発生
 リレーは序盤からいきなり試練が待ち受けていた。 前の方の走順の走者が何人もハチに刺されるという事態が発生したのである。 その情報は帰還した参加者から別の参加者へ、そして運営者へと伝わる。

 ハチと言えば野外活動で最も危険な生物のひとつで、クマよりも事故は多いと聞く。 だがオリエンテーリングの大会において ハチの危険を前もって回避することは限りなく不可能に近い。 オリエンテーリングの大会では通常、運営者が事前に何度かコースの試走を行う。 危険箇所を含めたコースの問題点の洗い出しと修正が 試走の大きな目的の1つであるが、ハチの巣の存在には気づきにくい。 試走では1つのコースを走る人数は1人か2人程度である。 この程度の人数が巣の近くを颯爽と駆け抜けただけでは ハチの側が騒ぎ立てたりしないから運営者も気づけないのである。 運営者が大会の前に山林に入る機会としては試走のほかに地図調査もあるが、 今回の大会は9月の開催であるので地図調査が行われたのは冬から初夏にかけての時期、 まだハチが本格的に活動を始める前であったと考えるのが妥当であろう。 こうしてハチの巣の存在に気づかないまま大会本番を迎えることになる。

 その大会本番では同じコースを何人もの参加者が走る。 オリエンテーリングではルートは一人ひとり違うと言っても コントロールは同じだしルートの選択肢もそう何種類もあるわけではない。 多くの選手が通るルートのすぐ近くにたまたま運悪くハチの巣が存在したら何が起きるか。 ハチの側から見れば巣の近くを後から後から人がやってきては駆け抜けていくことになる。 巣を脅かされていると感じるだろう。 最初のうちは我慢していたハチもやがて我慢の限界に達し、巣に近づく人間を刺し始める。 ひとたびこうなると収拾がつかない。 後からやってきた参加者という参加者が軒並み ハチの攻撃の標的にされることになるのである。

 私は過去、オリエンテーリングの大会や練習会でのハチ騒ぎをいくつも目にしてきた。 実際に誰かがハチに刺された事例もあれば、直前にハチの巣が見つかったということで 急きょコースが変更された事例もある。 しかしリレー大会でのハチ騒ぎはこの大会をおいてほかには記憶にない。 そしてリレー大会でのハチ騒ぎが個人戦とは比較にならないほど深刻な事態であることは 容易に理解できた。 特にこの大会は1チーム10人という、リレーの中でも異例の大人数のチームでの勝負である。 10人のうちのたった一人でも完走できない選手がいればそのチームは失格となる。 このことが事態を深刻化するのである。

 最悪のシナリオが2通り考えられた。 1つ目はハチに刺された参加者の途中棄権が相次いで大半のチームが失格となり、 勝負らしい勝負が事実上成り立たなくなる事態。 10人リレーに正規チームとして出走したのは12チームであった。 うち上位6チームが表彰対象であるので、 もし仮に6チームが失格になれば完走した全チームが表彰されることになり、 勝負の面白味は半減してしまう。 2つ目に、ハチに刺された参加者がリレーだからと無理をして完走し 症状を悪化させてしまう事態が懸念された。 結果として重症者が発生、救急車を呼ぶような事態になったらどうなるか。 大会は中止せざるを得ないだろう。 台風が去って1日余り。大会は再び危機的な状況に直面することとなったのである。

 まだ大会は序盤である。 これからどれだけの参加者がハチに刺されるのか。 大会は最後まで続けられるのか。 競技は成立するのか。 重症者の発生は避けられるのか。 小山温史はこの危機をどうやって切り抜けるのか。 参加者の私はただ固唾を飲んで見守るほかなかった。


オオスズメバチ(1枚目)とニホンミツバチ(2枚目)。 出典: 都市のスズメバチ


参加者を驚嘆させた伝説の名判断
 トータスの対応は早かった。 ハチの出たエリアには注意を呼びかける役員が派遣された。 派遣される役員にとってみれば大きな危険を伴う仕事である。 それをボランティア運営にも関わらずその役員があっさりと引き受けたのは 身を挺してでも小山様のために尽くしたいという強い思いあってのことだろう。 小山氏の日頃の人柄人望があってこそ可能になった措置と言えた。 これに引き続いてハチの出たエリアの周囲を立入禁止を示す青と黄色のスズランテープで 囲む作業も行われた。 そして大型車によるハチに刺された参加者の病院への搬送が行われた。

 あともう1つ、私にもすぐに思い浮かぶ対応策が考えられた。 コースの書かれていない地図(白図)へのハチの出た箇所の記載と掲示である。 オリエンテーリングの大会ではコースの事前非公開が大原則となっている。 すなわち参加者は出走するまでコースの書かれた地図(コース図)を見ることができない。 必要な情報は全てコース図に記載されるのが原則であるが、 コース図の印刷後に変更が生じる場合がある。 工事によって大会直前に新しく道が作られた場合などである。 こうした場合はその情報が白図に記載され、 公式掲示板などによって出走前の参加者に告知される。 参加者はそれを見て頭に入れた上で出走することになる。

 ハチに対してもこのやり方は可能ではある。 普通の大会ならこの対応が取られただろう。 但し、参加者にとって出走前に白図で告知された情報を 競技中に完璧にフォローするのはたやすいことではない。 まだコースを知らない段階で知らされる、 広大な山林の中のほんのごくごく一部に対する追加情報。 新しく作られた道であれば「この辺りに地図に無い道があるはずだから それに出くわしても慌てないようにしよう」といった大雑把な覚え方で用は足りる。 しかしハチではそうは行かない。 正確な位置を頭に入れなければならない。 それを競技中にいざその箇所に差し掛かる段階まで確実に覚えていなければならない。 一体どれだけの参加者がこれを出来るだろうか。 参加者にハチの出たエリアを回避してもらうための決め手になるだろうか。

 そんなことを考えていたときだった。新たな放送が入った。 第4走者のコースの△-1のちょうどレッグ線上、 ベストルートに当たる位置にハチの出たエリアがある。 参加者の安全確保のため、△-1のレッグをハチの出たエリアとともに公式掲示板で公開する。 それを見てハチの出たエリアを避けるような△-1のプランを 前もって考えておいて欲しい。 そういう旨の放送であった。 白図ではなくレッグそのものが公開されるという前代未聞の措置が取られたのである。


スタート前に公開された△−1のレッグとハチの出たエリア(パープルの縦ハッチ)。 ハチの出たエリアはうろ覚えの記憶で書いたので 実際とは少しずれているかもしれません。


 この時こそ小山温史が相次ぐ試練に打ち勝った瞬間だった。 小山様は参加者にハチの出たエリアを確実に回避してもらう方法を見つけ出された。 コースの事前非公開があまりにも当たり前のことになっているので、 よほど柔軟な頭を持った人間でなければこの方法を思いつくことは不可能だっただろう。 無論、私にも思い浮かばなかった。 最初の第4走者の出走まではまだ時間があるので レッグを公開しても競技の公平性を損なうことにはならない。 全員が等しくそのレッグのプランを前もって考えることができるからである。

 但しこれには条件がある。 △−1のレッグが公開されたことが全ての第4走者に漏れなく周知されることである。 ここで役に立ったのが朝行ったスピーカーの音質調節であった。 普通の大会では競技開始後に生じた変更点を 全ての参加者に漏れなく周知するのは極めて困難なことである。 だがこの大会に限ってはスピーカーの音質調整のおかげで 会場内の隅々まで極めて鮮明な声で放送が行き渡り、 全ての第4走者が漏れなく案内を聞いて公式掲示板に向かい、 △−1のレッグを頭に入れて出走したのである。 スピーカーの音質調整を行った時点では まさかこのようなことが起きるとは夢にも思わなかっただろう。 参加者へのちょっとした心配りが思いもよらない形で大会最大の危機を救ったのである。

 心を動かされたのはほかならぬ参加者たちだった。 運営者は本気で自分たちのことを考えてくれている。 誰しもがそう実感した。みな心の底から感謝した。感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。 そして会場にこの大会独特の空気が渦巻く。 一般にスポーツの大会には 参加者が本気にならなければ勝負が熱気を欠いたものになってしまう一方で、 参加者が本気になりすぎると気負いやライバルチーム間の険悪な空気などの マイナス面が生じてくるという矛盾が内在している。 だがこの大会の会場はそのどちらでもない独特の空気で満たされた。 参加者一人一人が持てる力の限りを尽くして真剣に一生懸命に、 かつてないほど熱い気持ちで勝負に臨んだ。 それでいて会場内のどこを見渡しても気負いも険悪な空気も全く存在せず、 チームの枠を超え269人の参加者はみな気持ちを一つにして互いを応援し合ったのである。

 参加者の心を繋いだのは運営者への、小山様への感謝の気持ちだった。 こんなに素晴らしい大会を用意してくれた。 小山温史という人物がいて、トータスというクラブがあって、 自分たちのためにこのような機会を与えてくれた。 それに応えるためにも全力を尽くして走ろう。 感謝を胸に。「ありがとう」を胸に。


他の参加者に手を振って出走する参加者。


最後の名判断「表彰式は屋内で」 ―かくして日本一の大会成る
 リレーも終盤に入った頃、大会会場は土砂降りの雨になっていた。 前日の大会で使った屋内会場「研修センター」が荷物置き場になっていたが、 リレーであるから会場そのものは屋外である。 入賞チームが確定し自分のチームの最終走者の応援も終えると さすがに屋根のある荷物置き場に引き上げてしまう参加者が多く、 会場は閑散としてきた。 この中で表彰式をやるのだろうか。盛り上がりを欠いたものになりそうだった。 これまでの大会運営が筆舌に尽くせないほど見事なものだっただけに、 表彰式が閑散としているのはいかにも惜しい。

 そう思っていたときだった。会場にアナウンスが入った。 「表彰式は場所を変更し、研修センターで行います。」

 表彰式は超満員だった。250人を超える参加者の大部分が表彰式に押し寄せた。 その前で小山温史はマイクを握った。彼特有の力強い声で表彰状を読み上げる。 参加者と気持ちが通じ合っている。見ていてそれがよく分かった。 参加者の多くは小山氏の友人知人である。 見ず知らずの店員と客の間でなされるようなよそよそしいやりとりは全く見られない。 参加者はみな小山氏をよく知っていた。 友人の彼がいかなる運営をするか、固唾を飲んで見守った。 その期待に応える形で小山氏は誰しもが驚嘆するほど見事に大会を運営して見せたのである。 参加者はみな感激した。その興奮が冷めない中での表彰式であった。

 「小山君大好きなので参加できて良かったです。」 表彰式の壇上、一人の参加者がそう言うと会場は共感一色に包まれた。 お互いの顔と名前は知らずとも、参加者はみな小山氏の共通の友人でありファンなのだ。 小山温史という人物と知り合えたことに感謝し、 小山氏が運営する大会に参加できることに感謝し、 小山氏から表彰されたい一心でみな一生懸命に走ったのだ。 その中で見事その栄冠を手にした者を皆で祝福する場。 それがこの表彰式だった。 惜しくも表彰を逃した人もいまは小山様への感謝の気持ちが勝っていた。 参加者・運営者300人の心は一つだった。 小山様ありがとう。 それが全てと言って良い。

 3ヵ月後、Orienteering News in Japanにおいて 「Best of Orienteer」という企画が行われた。 この1年間に最も活躍した選手と最も優れた大会を選ぶファン投票である。 その大会部門でインカレやクラブカップなどのビッグ大会を退けて見事1位に輝いたのは このトータス八ヶ岳10☆StarsCup2008であった。 大会は名実ともに日本一の座を獲得したのである。 投票と同時に集められたコメントでは、この大会を選んだ理由として 「演出」や「会場の雰囲気」、そして「台風やハチなどのトラブルに対する見事な対応」 を挙げる声が多かったという。

 時期を同じくして私は当の小山様から大会運営は演出が重要とのアドバイスを頂き、 自らが実行委員長を務める別の大会の運営者MLで 自分たちも演出にもっと工夫を凝らしてみてはどうだろうかと提案した。 これに答える形で同大会の運営者の一人で 日本オリエンテーリング協会公認の大会コントローラー資格を持つ あるベテランオリエンティアは大会をこう評した。

 「私もトータスの大会参加しましたが、多くの方たちがおっしゃって いるとおりです。年間1位に値する大会と思います。 ただし私が感じたのは単に演出がうまいということではなく、徹底して 細かいところまで配慮して参加者の立場で運営を考えているという ことでしょうか。 一つだけ小さな例を挙げますと、スタート前、会場で競技説明を する時に、『聞こえますか、聞こえたら手を上げてください』と確認を していました。これは演出ではなくて参加者の立場に立っての心遣いです。 このようなことが随所にありました。 表彰式のときに、『おれは小山が大好きなんだ』、と壇上で恋人の ことでも言うように叫んでいた若者がいましたが、これも小山温史氏の 人柄を示すものでしょう。 単なる演出のうまさではなく、人柄から始まっていろいろなことの 集積がトータスの大会の評価として現れているのだと思います。」

 小山氏の人柄こそが大会成功の秘訣。大会運営を知り尽くしたベテランの眼にそう映った。 考えてみればトータスはここ2,3年で急速に強く元気なクラブになってきていた。 地域クラブ日本一を競うクラブカップ7人リレーでの成績も右肩上がりであった。 この年のクラブカップでも小山氏率いるチームでヤングチャンピオンに輝いていた。 トータスがこれほどの成長を見せ始めたのは 小山氏が事実上のチームリーダーとなってからである。 トータスには小山氏の麻布時代からの親友や教え子など 小山氏と極めて近い人物が多数揃っていた。 今や小山氏はトータスの精神的支柱と言えた。 その小山氏が率いる大会だからこそ何としても成功させたい。 日本中が感激する最高の大会を作り上げたい。 運営者の誰しもがその思いを強く持って大会運営に臨んだ。 そして勝ち取った日本一であった。

 大会の成功によってトータスの近年の急成長とその背後にある小山氏のチーム作りの才能に 多くのオリエンティアが気づいた。 そして小山氏は「チーム作りの天才」「人柄の小山様」としての声望を獲得していく。


トータス大会の表彰式でマイクを握る実行委員長の小山様。 でもこれは実は2006年の大会の写真です。 2008年の表彰式の写真をお持ちの方はぜひご提供を。


後世に受け継がれる名大会の伝統
 2年後の2010年、小山氏の出身大学クラブ、 東京工業大学オリエンテーリングクラブ(東工大OLT) の後輩たちによってスプリント大会が開催された。 同クラブの主催大会は15年ぶり。 前回大会でのノウハウの伝承もほとんど行われておらず、全くの初心者運営のはずであった。 だが思いもかけず、多数のベテラン運営者を持つ他のクラブの主催大会においてすら 未だかつて見たことのない独創的で気の利いたことをやってみせる。 1本につき200円の追加料金で時間の許す限り何本でも コースを走ることができるというルールを導入して見せたのである。 これこそスプリントの大会に何よりも求められるものであった。 スプリントは優勝設定時間15分程度の短い競技。 大会会場までの交通に要する時間と比較して走れる時間はごく僅かで、 その効率の悪さを嘆くオリエンティアもいたが、 他の大会ではせいぜい予選決勝方式で2本走れる場合が稀にある程度であった。 この大会の運営者たちはこうした従来の競技方式に捉われず、 参加者の立場に立って参加者が最も喜ぶサービスとは何かをものの見事に見極め、 それを導入して見せたのである。 小山様の教えを受けた東工大の後輩たちであった。

 2011年、3年ぶりにトータス主催の大会が開催された。 実行委員長として取り仕切ったのは尾崎弘和。当時大学1年生であった。 大学クラブであっても1年生が実行委員長を担当することはまず考えられない。 ましてや多数のベテランを有する有力地域クラブにおいて 大学1年生の実行委員長とは異例の上にも異例の若さである。 彼を支えたのは2008年大会の経験であった。 彼は2008年の大会でコース設定を担当し、 小山様の背中を見ながら運営の一端を担った。 その経験があればこそ可能になった大学1年生の実行委員長であった。

 2012年、筑波大学オリエンテーリング愛好会によって大会が開催された。 予選決勝方式の大会。台風が接近していた。 予選終了後、放送が入る。 しかし、スピーカーからわずか10mほどのところにいた私にも 耳を凝らさないと言っていることが聞き取れない。 しばらくして驚くほど聞き取りやすくなった声で同じ人物が告げる。 「聞き取れなかったという声があったので再度連絡いたします。 台風が接近しているため午後の競技のスタート時刻を前倒しし、 A-finalのトップスタートを13時にします。」 トータス大会で経験した記憶懐かしいあのスピーカーの音質調整の再登場であった。

 だがここは運営経験の浅い学生たちである。 トータスのようにいかなる変更にもスムーズに対応するというわけには行かない。 スタートリストの印刷が間に合わない。 12時半を過ぎ、12時50分になってもスタートリストが発表されない。 会場から午後のスタート地区までの移動時間は30分。 参加者の中にはスタートリストの発表を待たずに さっさとスタート地区への移動を開始してしまった参加者もいた。 一方で会場でスタートリストの発表を待つ参加者もいた。 運営者にしてみればさぞかし困った事態であることは容易に想像がついた。 予定通り13時トップスタートにすれば会場で待っていた参加者が間に合わない。 かと言ってスタート時刻を遅らせれば先に移動してしまった参加者が 炎天下で長時間待たされることになる。それに台風も接近してくる。 何か良い対応策は無いものだろうか。 そんなことを考えていたときだった。放送が入った。 「午後のスタート時刻は運営側では指定せず、 13時から14時半までの間の都合の良い時刻に 参加者各自でスタートしていただく方式とします。」

 目から鱗とはこのことだった。 スタート地区に既に移動してしまった参加者と、会場に残った参加者。 そのどちらにも不利益にならない唯一にして最善の方法。 この方法ならスタートリスト発表の遅れを挽回し、 台風の接近前に競技を終わらせることもできる。 あのトータス大会において第4走者の△−1のレッグが公式掲示板で公開されたときと 同じ発想だった。 大会での参加者のスタート時刻は運営者から割り当てられるという通例に捉われず、 真に参加者の立場に立った柔軟な思考のもとで最適な対応策が考案されたのである。 この大会の本部には野本圭介の姿があった。 トータスの会員にして小山様の麻布の後輩、 そして2008年のトータス大会運営にも携わった 小山様肝入りの教え子である。 筑波大の学生たちのなかでオリエンテーリングの実力、経験ともに 群を抜いた存在でもあった。 今回の判断を彼が直接下したのかどうかは分からない。 しかし彼が常日頃から他の部員たちに小山様の教えを伝えてきたことは容易に想像がつく。 その下地があってこそ可能になった名判断であったに違いない。

 トータス八ヶ岳10☆StarsCup2008。 参加者は一生涯、あの大会を忘れはしないだろう。 いつかまたあのような大会に参加してみたい。 そして自分が運営の側に回る機会があればぜひともあの大会のような運営をしたい。 その思いとともに大会の記憶は参加者の心の奥底に脈々と流れ続ける。


3年後、小山様の教え子の尾崎弘和実行委員長のもとで行われた トータス八ヶ岳10☆StarsCup2011の表彰式の様子。 出典: Orienteering News in Japan


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